井上定期能 12月公演

公演日時:2019/12/07(土・SAT) 13:00~
主催:井上定期会
演目:
(能)百萬  法楽之舞     浦部好弘
(狂言)梟           茂山忠三郎
(仕舞)江口 キリ       井上裕久
(能)天鼓  弄鼓之舞     浅井通昭
入場料:
5枚綴券    ¥17,500
前売券     ¥3,800
当日券     ¥4,000
学生券     ¥2,000

演目解説

百 萬 ひゃくまん
 大和国(奈良県)吉野の男が、西大寺のあたりで拾った幼い子を連れて、京都嵯峨、釈迦堂の大念仏へやって来ます。門前の者に、何か面白い見ものはないかと尋ねると、百萬という女物狂が面白く念仏の音頭をとるというので、それを呼び出します。念仏にさそわれて現れた百萬は、門前の者に代わり音頭をとって舞い、仏前に進んで、我が子に逢わせてほしいと祈ります。すると、先の子供が、あれこそ自分の母だと言うので、男はそれとなく百萬に事情を尋ねます。百萬は「夫に死別し、子とは生き別れたため、このように思いが乱れた」と語り、男の励ましに力づけられ、奉納の舞を舞います。母は、我が子を探して奈良からはるばるこの春の嵯峨野へやって来たことを語り舞い、大念仏に集う人々の中に我が子はいないかと、身を嘆きつつ狂乱の態で仏に祈ります。男はいよいよ間違いなく子供の母であると思い、引きあわせます。母は、もっと早くに名乗ってほしかったと恨みを述べますが、仏の徳をたたえ再会を喜び、連れだって帰って行きます。
 小書(特殊演出)「法楽之舞」の節には、法会に際し舞を奉納する意を表した演出となり、常は「イロエ」であるところが「中之舞」に替わり、[クリ]を省き「牛羊径街に帰り」と[サシ]になります。[クセ]は笹で舞い、橋掛りを用いるなど型も替わります。

天 鼓 てんこ
 中国、後漢の御代に、王伯王母という夫婦がいました。妻はある日、天から鼓が降り下り、胎内に宿る夢を見て一子を産み、その子を天鼓と名づけました。その後本物の鼓が天よりその子の元へ降り下り、打てば実に美しい音を出します。それを伝え聞いた帝は、鼓を献上するよう命じます。天鼓はそれを拒み山中へ逃げますが、やがて探し出され、その身は呂水の江に沈められ、鼓は召し上げられてしまいます。しかし、宮中に召し上げられた鼓は、その後誰が打っても音を出しませんでした。
 本曲はここから始まります。子を失った老父王伯は、悲嘆に暮れる日々を過しています。そこへ、勅使がつかわされ、宮中へ来て鼓を打つよう命じます。勅命を受け老父は、自分も罰せられるのであろうと覚悟し参内します。帝の前で、恐れながら鼓を打つと、不思議にも妙音を発します。この奇跡に、帝も哀れを感じ、王伯に数多の宝を与え、天鼓の跡を弔うことを約束して帰らせます。〈中入〉
 やがて呂水の堤で、鼓を据えて管絃講(音楽法要)による弔いが行われます。すると天鼓の幽霊が現れ、手向けの舞楽を喜び、供えられた鼓を打ち、喜びの舞を舞います。
 親子の情愛と名器の神秘を描いた作品で、前後でシテの人物もかわり、情趣も一変します。前場の老父の悲しい心境と、後場の歓喜に満ちた天鼓の舞、見事な対照といえます。
 弄鼓之舞(特殊演出)の節は、後場の舞である「楽」が「盤渉楽」となり、舞の中でも鼓を打ち戯れたりして、歓喜の心が強調されます。