代替公演日時:2020/07/24(金・FRI) 11:00~
主催:京都観世会
演目:
(素謡)竹生島 浅井通昭
(素謡)忠度 片山九郎右衛門
(素謡)隅田川 梅若実
(素謡)鵜飼 河村晴道
入場料:
一般前売 ¥4,500
一般当日 ¥5,500
学 生 ¥2,500
演目解説
竹生島
三月中旬のうららかな琵琶湖(鳰(にお)の浦)が舞台です。作者不明。醍醐天皇に仕える朝臣が、近江国竹生島の明神へ参詣しようと湖畔に来ると、釣舟に若い女を乗せた漁翁と出会います。老人は朝臣を舟に乗せ、浦々の景色をめでながら向います。竹生島に着き、老人の案内で明神へ参詣すると女も一緒に来るので、女人禁制ではないかと朝臣が不審がります。老人と女は「弁才天は九生如来の御再誕で、殊に女体の神であるから、女だからとて分け隔てをなさらない」と、島の明神の由来を語ります。やがて二人が実は人間ではないと告げて姿を消すと、社殿が鳴動、光り輝いて、弁財天が出現。そして月光の澄み渡った湖面は波風が立ち、水中より龍神が現れ、衆生済度、国土守護を誓うのです。
忠度
春の須磨浦が舞台、作者の世阿弥が「上花」と高く評価した作品です。平忠度の和歌の師匠・藤原俊成に仕えていた者が出家し、西国行脚の途中の須磨浦にやって来ます。そこで、ある桜の木に花を手向ける尉に出会います。尉に宿を頼むと、この花の下にまさる宿はあるまいと言い、「行き暮れてこの下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」と詠んだ薩摩盛忠度がここに眠っているのだと語り、僧に回向を頼みます。やがて尉は忠度の霊であることを暗示して姿を消すと、回向する僧のもとへ忠度が在りし日の姿で現れ、西国への都落ちの途中、俊成のもとへ立ち帰って後日の勅撰集への和歌を託したこと、一ノ谷の合戦で討たれたこと等を語り、桜の花の蔭に消えてゆきます。
隅田川
春の墨田川が舞台に、行方知れずになった我が子を探し求める母の悲しみに満ちた作品です。世阿弥の子・観世十郎元雅作。墨田川の渡守に舟を乞う旅人の後から、我が子の行方を尋ね歩いてはるばる都から女がやって来ます。「名にし負はばいざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしや」という『伊勢物語』の歌をひいて、都鳥にわが子の行くえを問います。渡守は、昨年の今日、人買いに連れられた子がこの河岸で息絶え、今日はその弔い大念仏のため人々が集まっていると語ります。女はその子の名を尋ね、我が子梅若丸であることを知り泣き伏します。渡守が墓所に案内すると、母の弔いにひかれるように、子の声が聞こえ、幽霊となって現れます。言葉を交わしますが、その姿は夜明けとともに幻のように消え、あとには草が生い茂る塚が残るばかりでした。
鵜飼
夏の甲斐国(山梨)が舞台、榎並左衛門五郎原作、世阿弥改作。旅の僧が宿を求め川沿いの御堂に泊まります。そこに鵜を休めるためにやって来た鵜使いの老人に、僧は殺生戒を説きますが、2、3年前に川下の岩落という地で逢った鵜使いにもてなしを受けたことを思い出します。老人は、その鵜使いは禁漁区での密猟のために捕らえられ、ふしづけ(す巻き)にされて死んだことを語り、実は自分がその鵜使いの幽霊であると明かします。僧の弔いの申し出に、幽霊は罪障懺悔に鵜飼の様子を見せて闇に消えます。僧が法華経で弔っているところへ閻魔大王が現れ、無間地獄に堕とすべき鵜使いだが、僧の回向と、かつての一僧一宿の功力によって救われ、極楽へ送ることになったと告げるのです。