公演日時:2022/07/10(日・SUN) 11:00~
主催:京都観世会
演目:
(素謡)清 経 味方 玄
(素謡)班 女 河村 晴久
(素謡)卒都婆小町 観世 清和
(素謡)鵜 飼 浦田 保浩
演目解説
清経
秋の都。源平の戦が続く中、平清経の妻のもとへ、家来・淡津三郎が、清経の入水の知らせと、形見の黒髪を持ち戻って来ます。知らせを聞き、驚き絶望した妻は、夫の裏切りに恨み言をつらね、一首の歌と共に形見を返します。「見る度に心づくしのかみなればうさにぞ返す本の社に」 夢でも逢いたいと涙ながらに眠る妻の夢枕に清経が現れますが、喜びもつかの間、自ら命を絶った夫を責める妻。清経は、宇佐八幡(戦の神)のお告げをうけ、仏神三宝も平家をお見捨てになったかと絶望してひとり入水した――と語ります。それでも恨めしいと嘆く妻に「奈落(地獄)もこの世も同じ」と断じ、修羅道に堕ちたが十念(念仏)のおかげで成仏することができたといい姿を消します。愛するがゆえの悲劇を抒情的に描いた、世阿弥の名作。
班女
吉田少将は都より東国への途次、野上宿(岐阜)の遊女花子と馴れ親しみ、旅の復路での再会を約束、そのしるしに扇を交換して東へ下りました。以来花子は他の客の座敷へも出ず扇を眺めて陶然としているため、宿から追い出されます。吉田少将は都へ上る途中、再び野上に花子を訪ねますが、もはや行方知れず。そこで道を急ぎ京に帰り、男女の縁を結ぶことで名高い糺の森、下鴨神社に赴きます。一方、花子は班女とあだ名され、狂女となって扇を抱いてさすらい、神々に少将との再会を祈誓しています。糺の森で少将の従者と出会い「班女の扇は」との問いに、恋しい人に打ち捨てられたことを秋の扇に例え、中国の故事をひいて恋の切なさを表します。やがて少将が花子の扇に気付き、めでたく再会となります。世阿弥作。
卒都婆小町
秋、高野山の僧が都へ上る途中、鳥羽の辺りで休んでいると、一人の老婆がやって来て、自分はもう百歳、美しかった昔に比べれば老い衰えたと独り言をいい、そこにある朽ち倒れた卒都婆に腰をかけます。僧が卒都婆は仏体であると咎めると、老婆は素直に謝るどころか、仏法の奥儀で弁舌鮮やかに反論。感心した僧が拝礼すると、今度は「極楽の内ならばこそ悪しからめ、そとは(外は・卒都婆)何かは苦しかるべき」などと茶化した歌を詠んで戯れます。感心した僧が名を問うと、小野小町と明かし、ありし昔を述懐し今の境遇を嘆きます。そのうち、かつて小町に恋慕して九十九夜通って死んだ深草ノ少将の怨霊がのり移り、急に狂乱の態となります。やがて我に返った小町は、後世を願ってまことの悟りの道に入りたいと願います。観阿弥作。
鵜飼
夏の甲斐国(山梨)が舞台。旅の僧が宿を求め川沿いの御堂に泊まります。そこに鵜を休めるためにやって来た鵜使いの老人に、僧は殺生戒を説きますが、二、三年前に川下の岩落という地で逢った鵜使いにもてなしを受けたことを思い出します。老人は、その鵜使いは禁漁区での密猟のために捕らえられ、ふしづけ(す巻き)にされて死んだことを語り、実は自分がその鵜使いの幽霊であると明かします。僧の弔いの申し出に、幽霊は罪障懺悔に鵜飼の様子を見せて闇に消えます。僧が法華経で弔っているところへ閻魔大王が現れ、無間地獄に堕とすべき鵜使いだが、僧の回向と、かつての一僧一宿の功力によって救われ、極楽へ送ることになったと告げるのです。榎並左衛門五郎原作、世阿弥改作。