春の素謡と仕舞の会

公演日時:2024/03/10(日・SUN) 11:00~
主催:京都観世会
演目:
(素謡)忠 度       河村 和貴
(素謡)俊 寛       橋本 雅夫
(素謡)隅田川       梅若 桜雪
(素謡)山 姥       浦田 保親
入場料:
    一般前売   ¥4,500
    一般当日   ¥5,000
    春・夏通し券 ¥8,000(前売のみ)
    学  生   ¥2,500

    ※通信講座受講生、放送大学、老人大学は一般料金です。

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演目解説

忠度 ただのり
 春の須磨浦が舞台。作者の世阿弥が「上花」と高く評価した作品です。平忠度の和歌の師匠・藤原俊成に仕えていた者が出家し、西国行脚の途中の須磨浦にやって来ます。そこで、ある桜の木に花を手向ける尉に出会います。尉に宿を頼むと、この花の下にまさる宿はあるまいと言い、「行き暮れてこの下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」と詠んだ薩摩守・忠度がここに眠っているのだと語り、僧に回向を頼みます。やがて尉は忠度の霊であることを暗示して姿を消します。回向する僧のもとへ忠度が在りし日の姿で現れ、西国への都落ちの途中、俊成のもとへ立ち帰って後日の勅撰集への和歌を託したこと、一ノ谷の合戦で討たれたこと等を語り、桜の花の蔭に消えてゆきます。
俊寛 しゅんかん
 薩摩・鬼界島には、平家討伐を企て遠流となった俊寛、成経、康頼が居ます。中宮(平清盛の娘)御安産の御祈祷のため、赦免使が向かいます。成経、康頼二人は日々、島に勧請した三熊野に参詣し帰洛を祈りますが、俊寛は神仏をも頼まず、心を閉ざすばかりでした。そこへ赦免使が着きますが、赦免状に俊寛の名がありません。「何とて俊寛をば読み落し給ふぞ」「さては筆者の誤りか」「もしも礼紙にやあるらん」「夢ならば覚めよ」と、現実を受け入れることができない俊寛。出船の時が来ると、「せめては向いの地にまでなりとも」と船の纜(ともづな)にすがりつき嘆願しますが、それを振り切り出発する船。渚にひれ伏す俊寛。終に船影も人影も去り、見えなくなってしまうのでした。
隅田川 すみだがわ
 春の墨田川を舞台に、行方知れずになった我が子を探し求める母の悲しみに満ちた作品です。世阿弥の子・観世十郎元雅作。墨田川のほとりに、我が子の行方を尋ね歩いてはるばる都から女がやって来ます。「名にし負はばいざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしや」という『伊勢物語』の歌をひいて、都鳥にその行くえを問います。渡守は、昨年の今日、人買いに連れられた子がこの河岸で息絶え、今日はその弔い大念仏があると語ります。女はその子が、我が子梅若丸であると知り泣き伏します。渡守が墓所に案内すると、母の弔いにひかれるように子の声が聞こえ、幽霊となって現れます。言葉を交わしますが、その姿は夜明けとともに幻のように消え、あとには草が生い茂る塚が残るのみでした。
山姥 やまんば
 越後国が舞台。世阿弥作ともいわれます。都に、山姥の曲舞を得意とする百萬山姥と呼ばれる遊女がいました。従者を連れて信濃国・善光寺に参る途中、上路越にさしかかると、突然日が暮れたように暗くなり一行は困惑します。そこに不思議な女が現れ、宿を貸そうと庵に案内します。庵に着いた一行に、女は、自分こそが山姥であると明かし、月の出るころに謡えば真の姿を現そうと言って姿を消します。すると、まわりは瞬く間に明るくなります。夜が更け、一行の前に現れた異様な姿の山姥は、約束通り舞い、山姥の本性を語ります。そして深山の光景、山姥の境涯を語り、山また山を廻りながら姿を消すのでした。

出演者紹介
CAST

河村 和貴
Kawamura Kazutaka
日本能楽会会員

橋本 雅夫
Hashimoto Masao
日本能楽会会員

梅若 桜雪
Umewaka Rosetsu
日本能楽会会員
重要無形文化財保持者
(各個認定/人間国宝)

浦田 保親
Urata Yasuchika
日本能楽会会員