公演日時:2025/03/09(日・SUN) 11:00~
主催:京都観世会
演目:
(素謡)頼 政 河村 晴道
(素謡)熊 野 井上 裕久
(素謡)百 万 大江 信行
(素謡)葵 上 吉浪 壽晃
入場料:
一般前売 ¥4,500
一般当日 ¥5,000
春・夏通し券 ¥8,000(前売のみ)
学 生 ¥2,500
※通信講座受講生、放送大学、老人大学は一般料金です。
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演目解説
頼政
源三位(げんざんみ)頼政は、武勇の誉れ高き平安末期の武将でありながら、優れた歌人でもありました。能「頼政」は、老体の頼政が、宇治の合戦(以仁王の乱)で敗れ自刃するまでの様子を描く、修羅物の中でも難曲とされるひとつです。
旅の僧が宇治で出会った老人は、宇治の名所の数々を僧に教え、宇治平等院の扇の庭を案内し、ここが頼政自害の場所であることを教え、姿を消します。やがて僧の夢中に現れた頼政の霊が、疲労が激しい高倉宮(以仁王)を休ませるために平等院に陣をはり、平家軍と激しく戦うも敗れ、平等院の庭に扇を敷き、自害に及んだことを語ります。前半は宇治の名所が叙情的に、後半は臨場感ある合戦の様子が敵方忠綱の戦いぶりまでも勇壮に語られる一曲。世阿弥作。
熊野
都大路の春は今が盛り。平宗盛は、愛妾熊野の母親が病床に臥していることを知りながら、熊野を花見の供にと都へ留めていました。清水への花見の道は春爛漫でしたが、熊野の心は母の事ばかり。清水に着くと、まず観世音に母の快復を祈る熊野。気持ちとは裏腹に酒宴は始まり、宗盛に舞を所望され熊野は舞を舞いますが、そこへ俄かに村雨が降り出し花を散らします。熊野は舞をやめ「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の春や散るらん」と短冊にしたためます―都の春も愛しいけれど、慣れ親しんだ故郷の花(母の命)は今まさに散ろうとしている―。この歌に、宗盛もさすがに哀れを感じ、熊野に暇を出します。
雲かと見えて八重一重咲く九重の花盛り――都大路の春、清水の花、全曲を通して散りばめられた美しい詞の数々に耳を傾けてください。
百万
春、大和国吉野の男が奈良西大寺の辺で拾った少年を連れて、都・嵯峨釈迦堂の大念仏に参詣します。すると、一人の狂女が現れて念仏の音頭を取り、我が子に逢いたいと舞い、仏前に祈りを捧げます。それを見た少年があの狂女こそ我が母であるというので、男は女にその郷里や狂乱の理由を尋ねます。すると自分は奈良の都の百万という者で、夫とは死別し一人子とは生別したので心が乱れたのだと答え、法楽の舞を舞い、子を尋ねて迷い歩いた様子などを見せます。あまりに痛わしく思った吉野の男が少年を引き合わせると、女は夢かと喜び、これも仏の功徳であると感謝し、母子うち連れて奈良の都へと帰ってゆくのでした。
観阿弥が得意とした「嵯峨の大念仏の女物狂」の能を、世阿弥が改修して仕上げた一曲。
葵上
都では、左大臣の息女で光源氏の正妻・葵上が、正体のわからぬ物の怪に憑かれ寝込んでいます。朱雀院に仕える臣下が梓巫女に物の怪を呼び出させると、六条御息所の生霊が破れ車に乗って現れ、かつて賀茂祭で葵上の一行と車争いをしたとき受けた屈辱への恨みと、光源氏の愛を失った憂さを述べます。先の東宮妃として時めいていた自分が、今では日影の身に落ちぶれている・・・。葵上に激しく怨讐をぶつけた御息所は、ついには我を忘れ、葵上を破れ車に乗せてあの世へ連れ去ろうとします。臣下は恐れをなし、従者に命じて横川の小聖という行者を呼び、祈祷を始めます。御息所の生霊が悪鬼と変じて現れますが、ついに祈り伏せられ、祈りに任せた我が身の姿を恥じ、やがて怒りを和らげて観念。心安らかに成仏した身となり去って行くのでした。