公演日時:2025/08/10(日・SUN) 11:00~
主催:京都観世会
演目:
(能) 花 月 浅井 風矢
(狂言)雁 礫 島田 洋海
(能) 清 経 谷 弘之助
(能) 舎 利 寺澤 拓海
入場料:【全席自由】 一般前売 ¥3,000
一般当日 ¥3,500
学 生 ¥1,500
※通信講座受講生、放送大学、老人大学は一般料金です。
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演目解説
花月
子どもが七歳の春に行方不明になったのを機縁に、筑紫彦山の麓に住む男が出家し、諸国修行の旅に出る。ある年の春、僧が都清水寺に参詣すると、花月と呼ばれる少年が現れる。花月は人に勧められるままに小歌をうたい、梅花をふみ散らす鶯を弓矢でねらい戯れ、続いて清水寺の縁起を曲舞で舞う。その様を見ていた僧は、これこそ失ったわが子よと名乗り出る。花月は父との再会を喜んで身の上話をし、羯鼓を打って舞い、やがて父子連れ立って仏道修行に赴く。
能には喝食をシテとした一連の曲があり、いずれも遊狂の精神を旨とし、無邪気で明るく、どこか禅味を帯びた性格を持つ。特に「花月」は機智豊かで、しかも軽妙洒脱なところもある愛すべき少年で、中世的な雰囲気の横溢した作品である。
清経
清経の家来・淡津三郎が、清経が西国で入水し命を絶ったという知らせと、形見の黒髪を持ち、都の清経の妻のもとへやって来る。夫の入水を聞いた妻はおどろき絶望し、「討たれたり病に倒れたりしたのならまだしも、自ら身を投げるとは…」と恨み言を連ね、形見の髪を「見る度に心づくしのかみなればうさにぞ返す本の社に」という歌と共に手向け返す。涙ながらに眠りについた妻の夢枕に、清経が現れる。妻は夫を責め、夫は妻が形見を返したことを責める。清経は「世の中のうさには神もなきものを何祈るらん心づくしに」という宇佐八幡のお告げを知って絶望し、入水に至った経緯を語り始める。そして、一度は修羅道に堕ちたが、入水の際に唱えた十念のお蔭で成仏することができたといい、清経は妻の前から消えていく。世阿弥作。
舎利
出雲の国、美保の関の僧が、都を一見しようと京都へ上る。東山泉涌寺にて、聞き及んでいる十六羅漢や仏舎利を見るため、寺の能力に案内を頼み仏舎利を拝んでいると、里人が現れ一緒に仏舎利を拝んでいる。寺の辺りに住むその男は仏舎利のありがたいいわれを語っていたが、にわかに空がかき曇り、稲妻が光る。男の顔は鬼の形相になり、実は足疾鬼の執心であり今もこの舎利に望みがあると言い、舎利を奪い、天井を蹴破って虚空に飛び去る。〈中入〉
物音に驚いた能力は舎利殿に行き、舎利が奪われたことに気づく。僧は能力から、昔、釈迦入滅の時に足疾鬼が現れ牙舎利を奪って飛び去ったが、韋駄天が取り返した話を聞く。二人が韋駄天に祈ると、やがて足疾鬼と韋駄天が現れ、韋駄天が足疾鬼を天界に追い上げ下界に下し舎利を奪い返すと、足疾鬼は力も尽き消え失せる。