公演日時:2026/07/12(日・SUN) 11:00~
主催:京都観世会
演目:
(素謡)雨 月 橋本 雅夫
(素謡)通 盛 杉浦 豊彦
(素謡)檜 垣 観世 清和
(素謡)阿 漕 青木 道喜
入場料:
一般前売 ¥4,500
一般当日 ¥5,000
学 生 ¥2,500
※通信講座受講生、放送大学、老人大学は一般料金です。
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演目解説
雨月
西行法師が住吉参詣の折、雨音の風情を楽しむ尉と月光を愛でる姥の風流な老夫婦が住む庵に宿を借りようとします。尉と姥は屋根を葺くべきか葺かぬべきか、雨月の風雅な争いの心を「賤(しず)が軒端(のきば)を葺きぞわづらふ」という歌の下の句にし、西行に上の句を所望すると、西行は「月は洩れ雨はたまれととにかくに」とつけ、夫婦は感じ入り宿を貸すのでした。時雨にまがう松風が吹き、住吉の叙景、月、雨を思う内、夜も更け、皆眠りにつきます。
やがて西行の前に宮人に乗り移った住吉明神が現れ歌道の奥義を示し、西行を褒め、和歌を讃えて舞を奏でるうちに神は天に昇り、宮人は本性に還るのでした。
通盛
夏の阿波国が舞台。井阿弥原作、世阿弥改作。鳴門にて一夏を送る僧が、毎夜海辺で平家一門の跡を弔っています。そこへ御経を聴聞しようと女と老人が乗った舟が漕ぎ寄せてきます。暗闇の中、舟の篝火の光で読経した僧はこの浦でのことを尋ねます。二人は、とりわけ小宰相(こざいしょう)の物語―― 一の谷の源平合戦で、夫通盛が果てたことを知った小宰相の局は絶望し、鳴門の海に入水したと語るや、二人は突如海へ飛び込み消え失せます。僧が回向を続けていると、二人が在りし日の姿で現れ、一の谷の合戦前夜の悲しい別れ、そして通盛が木村源五重章に討たれた最期の有様を再現し、読誦のおかげで成仏の身になったと喜び消えていくのでした。
檜垣
世阿弥作。肥後国(現熊本県)岩戸山の観世音に参籠し既に三年になる僧が、百歳にもなろうかという老女が仏に水を供える為に毎日険しい道のりを通う事を不可解に思い名を尋ねます。老女は後撰集にある「年ふれば我が黒髪も白川の みつはぐむまで老いにけるかな」は、藤原興範に水を請われた折に自分が詠んだ歌であり、自分はかつて大宰府に住んだ白拍子であると明かし、僧に回向を頼み姿を消します。僧が白川を訪ねると、檜垣の女の霊が年老いた姿で現れます。消えぬ執心ゆえに今でも地獄で熱鉄の桶で水を汲み続けているが僧の弔いによって猛火が消えていると喜びます。昔の美しい面影は二度とかえらぬもの、興範に舞を請われた思い出を語り、更なる回向を願うのでした。
阿漕
日向国の男が伊勢参詣の折、阿漕の浦を訪れ、来かかった老人にこの浦の謂れを尋ねます。老人は、この浦は古歌に詠まれた旧蹟・阿漕浦だと教えます。又、伊勢大神宮御膳調進の網を引く所で、殺生禁断の場。しかし阿漕という男が毎晩密漁をしていたことが露見し、この沖に沈められたことからついた名だと答え、自分こそがその阿漕の霊であると明かします。男に回向を頼むうちににわかに海が荒れ、辺りを闇が覆い、その中へ老人は消えていきます。
男が法華経を読誦していると、地獄の責め苦にやつれ果てた姿の阿漕の幽霊が現れ、娑婆にて度々網を引いた様子を見せます。そして陰惨な地獄の有様を見せ、更なる回向を願って海底へと消えていくのでした。